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#5/ (JUST LIKE)Starting Over
 


  
東京・山手通りと井の頭通り交差点の歩道橋の上で山室優介は立ち止まった。散り遅れた銀杏の葉が凩にすくい上げられて足元で乾いた音を立てて舞った。

「終わりは、はじまり。出口は、入り口。悩んだって同じこと」

ため息交じりに、片岡絵里子の言葉を繰り返すと、かすかに白くなった息が、月も星も見えない夜空にねじれて消えた。深く息を吸い込むと、夜風が身体を駆け抜ける。

午前1時。優介は乾ききった銀杏の葉を踏み、歩道橋を降りた。ジャケットの衿を立てて腕を組み、行き交うクルマのヘッドライトを横目にしばらく歩くと『recover』というサインの灯るバーに着いた。絵里子がお気に入りのバーだ。優介はいつものようにカウンターの左端に座り、ボウモアの12年をオーダーした。スコットランドの西沿岸。潮風の強い薫りが心地よいシングルモルトだ。いつもより、咽に潮風が強く残った。何かを『回復し、再生する』ための空間としてバーがあるとすれば、この店は優介にとって最もふさわしい場所だった。数時間前までは。

「お店、しばらく休もうと思うの。あなたとも、少しお休み」

絵里子は1時間前に、そう切りだした。優介は月に2〜3度、福岡から東京に通っていた。5年前に結婚ではなく恋人で居続ける事をお互いに選んだ。絵里子のエステティック・サロンは知る人ぞ知る、人気サロンだ。エッセンシャル・オイルを使ったアロマテラピーはもちろんタラソテラピー、リンパマッサージ、足裏の反射区を刺激する台湾式と英国式のリフレクソロジー。他にも鍼灸の資格も持ち、ドイツや中国にも留学して本格的にリラクゼーション・テクニックをモノにしていた。やわらかく、うつくしく。それが絵里子の生き方であり、すべての行動のコンセプトだった。優介はそれを理解し、邪魔しないように結婚をやめたつもりだった。ある緊張感と引き寄せあう心のパワーを維持し続け、『やわらかく、うつくしい恋』をつくってきたはずだった。

その結果、数年間のいろいろな国での経験と知識と資格を持って、絵里子は東京で人気サロンを運営できている。何の不満もない、はずだった。お互いに。

「遠距離恋愛って、いうのよね。私たちのこういう関係」
「福岡と東京という距離が遠いなら、遠距離かな」
「変わらない一定の距離。心も身体も、変わらない福岡と東京の、一定の距離なの」

心はいつもそばにいる。と優介は言いかけたが、カラオケで子供たちが大声を張り上げて歌う歌謡曲バンドの歌詞みたいだと思って、止めた。

「そうかもしれない。でも、嫌じゃない距離だろう?」
「すごく快適」
「快適なのに、お店はとにかく、どうして僕を休むんだ?」

すべての自分の時間を自由にできて、お互いに心置きなく前に向かえる。それでいて逢いたくなれば数時間で会える恋人を持っている。

「頭で考えても理想的なの。身体で確かめたこの5年間も快適な距離感だったわ。でも、何かが違うの。こういう感覚ってない?仕事が終わって大好きなお茶を飲んでる夕方。お腹もそれほど空いてなくって、読みたい本も読み終えて、観たい映画も特別思いつかなくて、買いたいものもなくて・・・。ただ、お茶を飲んでたら、ふと、どうしようもなくせつなくなるって。ない?」

「ううむ。あるような、ないような・・・」
「いろんな感情のカタマリの端っこを針の先で削って、やっと耳かき一杯分の粉にして、それをフッと空気中に飛ばしたとするとそれが自分の半径10mくらいの濃い空気になって、その空気しか吸えなくて・・・・」

絵里子は感情をできるだけ丁寧に説明しようとしていた。優介は反論する気持ちを消して、絵里子の長い説明を聞いていた。

「淋しい、哀しい、怖い、つまらない、めんどくさい、どうでもいい・・・。そんな感情のカタマリを少しずつって感じ。わかる?」
「疲れてるんじゃないか?」

優介は絵里子の背中に回り、両腕の間に自分の腕を差し入れて胸の下で交差させた。

「疲れてるとすれば一定の距離に慣れてしまった自分に疲れているのかもしれない」
絵里子は優介の腕に体重をゆっくりあずけながら言った。
身体はいつもと同じようにお互いを上手に求めあった。やさしさも、やわらかさも、違和感なく。その後、優介は『recover』に行かないかと誘った。

「お風呂に入って、それから決める。先に行ってて。電話する」
「わかった。風邪、ひくなよ」
「うん」

絵里子はバスルームに向かい、優介は部屋を出た。途中、歩道橋にさしかかったところで携帯電話が鳴った。絵里子からだった。

「バリに住もうと思うの、しばらく」
絵里子の言葉を聞きながら優介は歩道橋を登った。
「バリのホテルの中でサロンをやらないかって話があるの。だから、今の優介との距離も一度終わりにした方がいいかなって思う。終わりは、はじまり。出口は、入り口・・・」
バーには行かない。ゆっくりしてきて。待ってるから。そう続けて電話を切った。

優介には何が何だかわからなかったが、不思議な事に不快ではなかった。ただ、歩道橋の上で吐いたため息が薄く白かったのが、切なかった。



ボウモアの潮風を飲み干し、バーテンダーに空のグラスを軽く掲げた。ボウモアのお替わりが差し出されバーテンダーが、ジョン・レノン、かけましょうか?と言った。そういえば絵里子と来る時はいつも、無理にリクエストしていた事を思いだした。優介は目で頷き、ボウモアを口に含んだ。強い潮風が刺す。すぐに飲み込むと涙が出てしまいそうだった。ボウモアの刺激に神経を集中させ、口で潮風を転がした。刺激に慣れた頃、鐘の音が3つ、鳴ってジョンの声が流れた。『スターティング・オーバー』。

息子ショーンの育児のため5年間休養した後、ジョンは『ダブル・ファンタジー』を録音。最初のシングルのこの曲をリリースした2ヶ月後の12月8日、凶弾に倒れた。


次回をお楽しみに・・・

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