|
煙草の煙は小さな輪をいくつか作り、すぐに歪んで夕暮れの博多の空に消えた。博多駅から歩いて15分程の場所にあるホテルのエントランスの前。山室優介は口笛を吹くような唇で、自分の片方の頬を指先で叩きながら煙草の煙を発射していた。
「お待たせしました」
エントランスのドアが開き、中から吉本麻美が出てきた。優介は咳払いをしながら、煙草を灰皿に入れて頬を撫でた。煙の一人遊びをごまかすように。
「いや。寒いねえ、まだ。ダウン着てれば大丈夫だね。さて、どこでメシ食おうか」
麻美は東京のイベント制作会社で働いている。数年前から優介に、記録ビデオの仕事を依頼してくれていた。今回の仕事は福岡で新しく展開する海外ブランドのオープニング・イベントを記録ビデオに撮るというものだった。
「お陰様で無事終わりました」
ペコリと頭を下げ、白いダウンジャケットのジッパーを上げながら、微笑んだ。
「おいしい焼酎が飲める店がいいな」
「OK。マミさんが飲んだ事のないおいしい焼酎があるんだよ。地元の、焼酎」
「へえ。何ですか?『百年の孤独』とか」
「それは宮崎県の蔵元でしょ。そういうブームになってないヤツで、すごいのがあるんだな、福岡には」
「そうなんだ。楽しみ」
先を歩く優介の後を歩いていた麻実は、小走りに優介との距離を縮め、さりげなく腕をからめた。麻美のダウンと優介のジャケットが擦れる乾いた音がふたりの足音に重なり、繁華街の雑踏に溶けた。
●
「まずは、ビール?」
繁華街を抜けた路地にその居酒屋はあった。カウンターは、洒落たバーの作り。テーブルは巨大な和風の板張り。壁は漆喰。和風好みのイタリア人が考えました、という感じのインテリアだった。
「いきなり、焼酎で」
麻美が店員からおしぼりを受け取りながら言った。
「夢想仙楽、1本入れてください。まずはロックで。ふたつ」
優介が店員に告げると、店員はメニューを置いて立ち去った。しばらくして、壺状の瓶と、氷の入ったグラスが置かれた。いくつかオーダーをしながら、優介はグラスにソレを注ぎ、軽くグラスをあわせて、お疲れさまと言った。
「おお」
麻美が一口飲んで、目を大きくして言った。
「うんめーって、感じ?」
「気に入った? さすが、福岡でしょ」
優介は麻美の表情に満足して言った。
「スペインから取寄せた樫樽にね、ほら、あのシェリーを入れておく樽ね、あれに原酒のまま5年間じっくり寝かせるとこうなるらしいよ」
「すごい濃厚だけどサラッとしてて蜂蜜に似た風味が。ほのかな甘味が印象的な甘味に変わるんですね」
「さすが、ソムリエの資格はダテじゃないね」
「ただの飲んべえな女って思ってたでしょ、山室さん」
「そうだね。会社の人からソムリエの資格持ってるって聞くまではね。酒に飲まれちゃうソムリエって初めて聞くもんな」
以前、やはり麻美との仕事の打ち上げで飲んだ時、4軒ハシゴしてつきあって、結局、オンブして早朝にホテルまで送り届けた経験があった。
「ある量を越えるとバカになっちゃうんですよね、お酒って」
麻美はコクッと咽を鳴らしてグラスを空け、微笑った。2時間程で、ボトルは空になり、お腹も一杯になる頃、麻美は優介にもたれるように軽く寝息を立てていた。優介は麻美を起こし、店を出た。オンブは、やだよ。そう言って千鳥足の麻美を抱え、タクシーを拾ってホテルに戻った。ホテルに着くと、麻美は、ありがとうございました、と頭をペコリと下げ、ふらつく足でフロントに行き、鍵を受け取るとエレベーターに向かった。優介はエレベーターの呼びボタンを押し、見送るために待っていた。エレベーターに乗った麻美に、お疲れさま、と声をかけようとした時、麻美は風船の空気が抜けるように、エレベーターの中にペタンと座ってしまった。優介はドアがしまる直前に身体を中に滑り込ませ麻美の身体を起こした。支えながら客室の階を押した。
鍵を開け、部屋に入り、小さなベッドのふとんを剥ぎ、中に麻美を寝かせた。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り、麻美の背中を起こして、水を飲ませた。飲み干せなかった水は唇から溢れ、細い顎を伝わり、ダウンの下のシャツに、流れた。優介はペットボトルをサイド・テーブルに置き、ダウンを脱がし、シャツのボタンをはずし、脱がした。黒いブラのホックに指をかけ、やめた。それからクローゼットの中に下げてあった麻美のセーターを取り、着せてから、ふとんをかけた。ベッド脇のスイッチで部屋を暗くして、ラジオのスイッチを入れ、ボリュームを低く調整した。『Just
the Way You Are』が流れた。
●
麻美の飲み残した水を飲み、煙草に火をつけると、麻美が優介を見ていた。
「起きた?また飲まれちゃったな」
「ううん。今夜にはうってつけの、適量。素直に酔っただけ・・・」
優介は煙草を消して、何か言おうとする麻美の唇に自分の唇を落とした。
「ビリー・ジョエルはアルコール依存症で入院してたんだ。この曲は、セックスも愛もアルコールによく似てるから気をつけろって唄なのにな」
「ほんと?」
嘘だ。優介は、おやすみと言ってホテルの部屋を出た。外に出ると風が冷たかった。
優介のため息と一緒に、甘い口紅の匂いが夜空に消えた。モルディブにいる片岡絵里子の口紅と同じ味だった。指で拭った後、ふたりの女性に軽く責められている気がした。
|